2011年01月30日

日本の”武装”について考える

日本の”武装”について考える


1.日本のタブー”武装””軍備””戦争”

軍備のこと、戦争のこと、核のこと、憲法9条の改正のこと。
日本ではこれらのことはタブーになっている。
おそらく個人の意識の中では、
いろいろな意見、思いはあると思うのだが、
その考えを外部に発することは事実上できない。
言ってはいけないことなのだ。
言うと、損をし、めんどくさいことになるので、
言わない方がいいと思われている・・というような状態にある。
でも、昨今の尖閣を巡る中国との関係、
北朝鮮の動き、北方領土でのロシアの動き、
基地問題でのアメリカとの関係などについて考えた場合、
どうしても心配になる。
その心配とは、
「日本が他国から攻撃され、日本人の多くが虐殺され、
財産も奪われるような事態になったらどうするのだろう?」
という心配だ。


2.いつも、はぐらかされている

TV等でも、時々このような発言はある。
ただ、そのときの回答として一番声の大きいものは、
「そのようなことにならないように事前に努力し、
話し合っておくことが必要」というような意見である。
そして、TVの番組では、最軍備のことを考える方向には
けして話は進まない。


3.考えなくてはいけない選択肢

この、「戦争がおきないようによく話し合う」という意見は、
当たり前の意見である。
当たり前すぎて聞くに値しない発言である。
聞きたいことは、もし他国が攻めてきたらどうするか
ということなのである。
攻めてくる前の予防策を聞いているのではなく、
攻めてきたとき、まさしく人が殺されているときのために、
どうしておくのがよいのかと聞いているのである。
はぐらかさないでほしい。

たとえて言うなら、風邪を引いたときにどうすればよいか
と聞いている人は、
「そのときの時のためにこの薬を準備しておけ」
という対応策が聞きたいのであって、
「風邪を引かないように注意しろ」
という答えを聞きたいのではないのである。
風邪をひかないように注意することなど
当たり前すぎることなのである。


この「他国が攻めてきたとき」の質問に
きちんと向き合って回答しようとするならば、
軍備のことを抜きにして回答することはできないであろう。

とすると回答にはどのようなものがありうるのだろうか。
その一つは、
@他国が攻めてきた場合に備えて、
日本も再軍備するというものと、
もう一つは、
Aそうなった場合があるとしても、再軍備はしない
という考え方だろう。


もう少し詳しく説明すると、
@は再軍備することによって、
メリットとして、
攻めてきた他国を攻撃してやっつけることができる
というものだろう。
至極普通のことだ。
ただ、デメリットもある。
それは、日本が再軍備することによって、
経済的な恩恵の多くを失う可能性があることだ。
どの程度失うかは当然のことながらわからない。
ただし、かなりの程度の損失を被ることは考えられる。
たとえば、今の半分の生活水準
(いきなり、日本人全体の給料が半分になるくらいのイメージ)
になることを想像するといいかもしれない。

Aの再軍備しない場合のメリットとしては、
当面@のような経済的なダメージはなく、
何事もなければ
今のままある程度平和にやっていけるということだ。
ただし、デメリットとして、
万一他国に攻撃された場合は、
日本人の多くの命と財産が
一方的に奪われることになる可能性があるということだ。
具体的な場面はイメージすることもつらいほど残虐なことである。


4.日本人に突きつけられている課題
この@とAどちらをとるかの選択が迫られることになるのである。
どちらをとっても、大きくつらいデメリットがある。
そのデメリットを理解・把握した上で、
被害を最小になる努力をしながら進んでいく必要があると思う。
今は、その選択をする自由もない状態で、
ある意味Aを強制的に選択させられながら、
デメリットに対する対応策を考えることを
禁じられているような状態といえる。

非常に危険な状態だと思う。
後世の歴史家が今の日本の状態を見た場合、
あまりの危険の大きさとそれに対して鈍感な日本人をみて、
民度の低さ、民族のレベルの低さを感じると思うのだが
いかがでしょうか?
posted by hssk1101 at 16:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

日本のイノベーション推進に向けて

日本のイノベーション推進に向けて

1.日本の現状

今、日本はどんどんと衰えていると言われている。
新興国にも負けている。
以前の日本は強かった。
世界を引っ張る力があった(らしい)。
でも、その力は今はなくなっている。
新興国の後塵を拝している。
日本はあせっている。
不安になった日本国民は、
政府や企業、若者に対して
もっとがんばれ、昔のようにがんばれ、
何をしているんだと、イライラしながら叱咤激励している。
でも、その激励は、第三者的・ひとごとのようで、
とても違和感を感じる。


2.日本を衰えさせた人はだれ?

政府も、企業も、若者も確かにだらしないのかもしれない。
だけどそういう日本にしているのは、
あるいはそういう日本にしたのは、
この批判している人たちである。
具体的には今の中高年の国民である。
最も責任を負うべき人たちが、
ひとごとのように論じていることがおかしいと思う。

この人たちが今の日本を今の姿にしてしまったのだ。
いまさら人のせいにするなと言いたい。
責任を取って、このような日本にする過程で受けた、
様々な利得をとりあえずは返上しろといいたい。
今現在、若者の犠牲の上で恩恵を受けている
様々な特典を返せ。
年金問題もそうだろう。今の水準で受給すること自体が、
日本をおかしくしている。
雇用の問題。中高年が昔の既得権に守られて、
のうのうとしている間に、若者は就職できなくなっている。
こういう事実を踏まえて発言して欲しい。

でも、そんなことを言っていても仕方ない。
日本を救うために、日本を元気にするために、
どうすればいいのだろうか。
日本から世界の経済を引っ張るような
イノベーションを起こすために、
何をすればいいのだろうか。

今の日本の状態で、
世界を変革するような
イノベーティブなアイデアが
生まれ出てくることは考えにくい。

ではどうすればいいのだろうか。

今のままではダメだ。
革新的、斬新なアイデアが出やすい土壌、風土にする必要がある。
しかも、急ぐ必要がある


3.日本からイノベーティブな発想を出すために

どうすればいいか?
私は次のような手法が効果があるのではないかと思っている。

【案】
イノベーションを起こすアイデアを出してもらうために
<1>日本全国から優秀な人を選抜して、
  3年(程度)遊びながら(仕事は何もしないで)
  イノベーションのアイデアを考えてもらう。
<2>その人たちは超エリートとして処遇する。
<3>期間内に成果が出なくても、事後は元の職場に戻って、
  エリートとして処遇する。
<4>成果が出た場合は、その分の報酬は十二分に出す。
  成果を出せば出すほど目に見えて有利な仕組みにする。
<5>このエリートの選抜方法は、透明性、万人が参加できる
  機会平等が保障される手法にする。
  ・公務員が恣意的に選抜する方法でないこと
  ・裕福な人がお金をかけて準備すれば選抜されやすい
   仕組みではないこと
  ・誰が見てもそこで選抜された人は優秀だと納得できること
 →大学入試的な筆記試験と宇宙飛行士採用試験の手法をまぜた
  ようなイメージで、お金をかけて訓練することができない
  ような試験。

この試験で選抜された人が、
エリートとして処遇され、
ストレスから開放された状態で、
余裕、エリート意識、優越感、および
自分が日本を救うという気概と責任感などを
融合させ、力を引き出して、
すばらしいイノベーティブなアイデアを出してもらう、
という考え方である。


4.時間がない。すぐ動こう。

反論はあると思う。
・満ち足りた環境からはいいアイデアは出ない
・選抜された人は、成果が出なくても報われるような制度は
 不平等だ
などという声があると思う。

でも考えて欲しい。
このままで何かできるのか。
誰かが、日本を救うようなアイデアを出して、
世界を牽引するようなイノベーションを
引き起こすことができるのか?
そして、だれかがイノベーティブな発想で
日本を救うアイデアを出す必要があるということを。

今の、窮屈な日本の風土の中では、
世界で勝てる「すばらしいアイデア」というのは
正直、出にくいと思っている。

なぜか。
日本ならではの人間関係の上に、
欧米の合理主義、競争主義をとりいれた結果、
いい意味での人間関係、地域社会は崩壊し、
悪い意味での、窮屈なゆとりのない社会に組み込まれ、
自殺率も高く、鬱になる人が多い社会になってしまった。
こういう社会ではいいアイデアは出ない。

社会のせいにしても仕方ないのかもしれないけど、
これだけ窮屈だと、
イノベーティブなことを考えている余裕はない。
普段の生活の中で生じるストレスを処理するのに
精一杯になるからだ。

何とかする必要がある。
だけど、社会が何とかなるのを待っている時間もない。

となると、イノベーティブなことを考えられる
エリート・天才を集めて
日本を救うために、
思う存分アイデアを出してもらうべきだと思う。
posted by hssk1101 at 14:36| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月22日

再認識せよ!読書の大切さを

読書は大切である。とても重要である。全ての人がそのようにいう。でも、正直なところ、高校生くらいのときまで、意味がよくわからなかった。
「読書が大切」ということは「国語の読解力を向上させる」ことができるからだと考えていた。国語は、数学・英語と並んで重要な受験科目である。あの国語の長文問題を解くことが重要だということは理解できる。ということは、斜に考えると、数学と同じ程度の重要性ということか。数学は考え方を身に着けるのに重要だということだが、本音の声として社会に出て高校で習った数学を実際に使用する場面に出会ったことがないという現実はわかっている。英語も似たようなものか。国際化の流れの中で大切なことはわかっている。だけど多くの日本人は実態として英語など全く話せないし、何とかなっている。では国語も同じか。できたほうがいいけどできなくても正直なところ何とかなる。だから読書も大事だという建前はわかるが、所詮は数学、英語が大事だと行っているのと同じような意味合いと。正直なところ高校生くらいのときまでこう考えていた。

でも、違うということが徐々にわかってきた。思い知らされてきたといったほうがいいかもしれない。読書の重要性は単に受験勉強の中の国語のために重要ということだけではない。知識の取得の基本として重要ということがわかってきたのだ。

人が生きていくためにはいろいろなことを知っていないといけない。物事を知っているか知らないかの差で大きな差がつくことはよくある。たとえば、お金の問題が最もわかりやすいかもしれない。どういうところで働くとお金がもうかるとか、どういうところだとあまり儲からずつらい目にあうとか。また、お金をどういうところに投資すると有利か。それはどういうタイミングで実行すると有利か。これから、どういうことを知っていれば有利か。それを知るためにはどうすればいいか。お金がかかるのか。時間がかかるのか。などなど。お金の問題はよくも悪しくも人生の幸不幸に直結する。そのお金を稼ぐためのさまざまな知識は十二分に持っている必要がある。
そのほかにも、自分の健康を守るためにはどうすることが最も有効なのか。彼女が欲しいと思ったとき、どのように行動すると上手くいくのか。その際の何か実例はあるのか・・などなどあげればきりがない。無限にある。こういうことを何でも知っている人が近くにいて、いつでも聞くことができる状態であれば問題はない。だけどそんなことはありえない。そこでどうするか。読書である。本を読んで知識・考え方・やり方・ノウハウを吸収するのである。そこで知った知識は自分の物となるように、咀嚼し吸収し、次には他の人に教えてあげるようになることである。
今、何をすれば自分にとって有利か(お金が儲かるか、会社で上司とうまくやれるか、女性を上手く使うことができるか・・などなど)を知るためには、その関連の本を読み理解し身に着け、実行するのだ。この積み重ねが実力となっていくのである。
知りたいことを身に着けるためにはこのような読書が必要なのである。

知りたいことの中には、上記のような日常生活を直接効率的有利にするための知識もあれば、人間心理の微妙なあやなどの知識もある。人間がどのように感じ、考えるのか、自分はその考え・行動に共感できるのかできないのかなどの問題のことである。
これは、いわゆる経験の長い人間が有利となる根拠のものである。若者が一生懸命勉強して、知識を身につけても、経験豊富な先輩にはなかなか歯が立たない部分。時間をかけて、人間関係の微妙なところを自分で感じ取り、時には失敗して痛い目を見ながら培っていく能力。この部分は若いと圧倒的に不利である。そこで重要なことは読書である。読書で人間関係の直接的なノウハウを学ぶとともに、小説などを呼んで登場人物の思考方法、行動様式などを自分の体験と同じような経験として自分のものにして行く。
若者が一時の感情に任せて相手を罵倒し他結果、その後その相手との人間関係が上手く行かなくなり苦境に追い込まれることが多々ある。経験豊かな人はそのようなことまで熟知している
ので、一時の感情を抑制することができやすい。これなど、経験による実力の差の最たるものといえる。人生はこの蓄積なのである。
単純化していうと、まず、経験をつんでいろいろなことを見につけていることが競争に生き抜くためには重要である。動物のことなどを考えてもそうだろう。そして、その経験を補うために、より効果的に自分の経験を充実察せるために読書が必要なのである。

そういう意味では、教科書や参考書で勉強することも読書の一つであるといえる。
たとえば国語の古文。古典を読むための技術、ノウハウを学んでいるのである。数学も、先人が考えた数学の考え方、解き方等を学んでいるのだ。英語は、英語の身につけ方を学んでいる
といえる。英語で考えるとわかりやすいのかも知れない。経験をつむことができるのであれば誰でも英語など話せるようになる。でも、この日本で日本語で生活している中で英語を身につけるにはどうしたらよいか。英語の辞書、教科書、参考書のない状態を想像してみて欲しい。そのような状況で英語を身につけろと言われたらどうしたよいかを。そういう場面で役に立つよう、辞書、教科書、参考書は作られていったと考えていい。
それを使えば、英語という言葉を身につけることができるのだ。

まとめるとこういうことになる。
1.人間が競争に勝ち抜くためには能力が高いことが必要。
2.その能力は、資質もあるが基本的には経験により、さまざまなことを知り把握しているということのことである。
3.その経験は時間をかけて身につけていくことになる
4.経験だけで身につけられることはたかがしれている。それだけで社会で戦おうとしたらどうなるかことぐらいはわかるだろう。
5.読書によって、先人が残してくれた「経験」を身に着けるということだ。自分で経験しないでも読書によって、効率的に自分に技能、ノウハウを身につけることができるのだ。

読書の意義が伝わっただろうか。
大いに読書をして欲しい。
posted by hssk1101 at 06:14| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする